最近の高齢者による痛ましい事故のニュースから、運転免許証を返納した方は多いかもしれません。しかし多くの方は返納後に不安があり踏み切れないのが現状ではないでしょうか。
ここでは、高齢者による運転免許証の自主返納のメリットと、返納後のサポート事業について解説します。
運転免許証の自主返納の概要
高齢者による悲惨な事故のニュースは、「うちは大丈夫」と思っている家族でさえ、不安な気持ちにさせます。しかし外見からは変わった様子はなく、運転もごく自然で安全、何より生活に欠かせない移動手段だからと返納を具体的に考えたことのない方も多いでしょう。
ここではまず、高齢者の運転免許証の自主返納の統計としくみを解説し、次に実際に返納したらどうなるかについて考えてみましょう。
高齢者の自主返納は増加し続けている
運転免許の自主返納制度は、正しくは「申請による免許取消」といい、有効期限が残っているにもかかわらず自主的に返納する制度です。1998年から導入され、返納者の数は2010年は総数で約6万5,000人でしたが2019年には9倍以上の60万人を超えています。
2019年は4月に東京・池袋で発生した高齢ドライバーによる母子死亡事故によって高齢者の運転に注目が集まったこともあり、70~75歳の返納数が増加しました。今後も高齢ドライバーによる事故が起こるごとに、自主返納の件数が増加するだろうと考えられます。
しかし一方で、自主返納の割合には地域差があり、返納率は公共交通機関が整備された都市部で高く、地方ではあまり進んでいないのが現状です。
誰でも自主返納できるわけではない
もともと運転免許は「自動車を運転してよいという許可」です。更新も長ければ5年に1度で、その間事故や違反などがなければ継続できます。
中にはめったに運転せず運転には自信がない、事故や違反はないが起こしてしまわないか不安があるといったドライバーもいるでしょう。そんなドライバーが自主返納の主な対象です。
しかし次のようなドライバーは自主返納はできません。
- 運転免許の取消基準に該当している
- 運転免許が停止されているまたは停止基準に該当している
- 初心運転者制度の再試験の基準に該当している
一定以上の事故を起こしたり違反をしてしまったりすると自主返納できなくなります。自主返納とは事故を起こしたり違反を犯したりする前に、ドライバー自身が自分を客観的に振り返り”自主的に”申請する制度なのです。
運転しないことのメリットとデメリット
自主返納することによるメリットとデメリットには、およそ次のような項目があげられます。
メリット
- 自動車事故を起こさず被害者を作らない
- ガソリン代や駐車場など自動車の管理にかかる費用が発生しない
デメリット
- 移動手段が公共交通機関に限られる
- 自由な移動が難しくなる
- 運転免許証という身分証明書がなくなる
高齢者の運転免許証の自主返納が増えているのは、特に「自動車事故を起こさず被害者を作らない」メリットを重視しているためでしょう。自動車事故は自分だけでなく被害にあった相手の人生も大きく変えてしまいます。賠償も問題ですが、何より「誰かに大きな負担をかけてしまう」ことで後悔するのは絶対に避けたいからです。
一方のデメリットとなる移動にかかる費用は、自動車の所有にかかっていた費用や、自主返納の特典として受けられる支援を受けることでかなり軽減できる可能性があります。返納する高齢者が多いのは、やはりこういった支援の効果が大きいといえるでしょう。
このメリットとデメリットをどう考えるかはドライバー次第です。自主返納し自動車事故を起こさないことを選ぶかどうかは、まさに運転を許可された者が負う「最初の責任」といえるでしょう。
高齢者の運転免許証の自主返納の実情
運転免許証を自主返納するということによって、現実に高齢者はどのような影響を受けるかは重要です。返納する方にとって移動手段は、かけがえのない生活の一部であり、失われることは単に手段ではなく関連する生活様式自体を変えてしまいかねません。
ここでは高齢者が運転免許証を返納することの実情について解説します。
返納する本人の生活が大きく変わる可能性も
特にこれまで当たり前のように自動車を運転してきた高齢者にとっては、自主返納が生み出すデメリットばかりが思い浮かぶでしょう。
バスの本数も少ない地方に暮らしていれば、自動車はそれこそ”ライフライン”そのものです。買い物や通院、年金の受け取りなど自動車が運転できなければ生きていくこと自体が難しく面倒になります。
またそれ以上に外部との接点が減ることによって、コミュニティへの参加や趣味の活動が減り、交流関係そのものが失われ、引きこもりになってしまうかもしれません。運動量が減り、体中の筋肉が衰えたことによるケガ、栄養不足で体調を崩すことも考えられます。
運転免許証の返納が及ぼす生活への影響は少なくありません。自主返納を検討するときは事故を起こさないメリットだけではなく、本人の生活の変化に対して何らかの効果的な対策についても考えておく必要があるでしょう。
70歳が返納を検討する目安
わが国では一般に、高齢者とされるのは65歳からですが、特に「高齢運転者」とされるのは70歳からです。実際、先に紹介した警察庁の調査からは、2019年時点で70歳以上の自主返納が全体の85%以上を占めていることから、自主返納の時期は70歳が1つの目安となるでしょう。
ただしこれはあくまで平均です。自主返納はドライバーがそれぞれ自分の体調や運転頻度、経験などから判断するとよいでしょう。
高齢者が自主返納する理由
2017年に実施された内閣府の世論調査では「どのようなときに運転免許証を自主返納しようと思うか」という質問に対して次のような結果が示されています。
自分の身体能力の低下を感じたとき | 64.8% |
家族等から運転をやめるよう勧められたとき | 37.4% |
交通違反や交通事故を起こしたとき | 17.0% |
公共交通機関が充実し、必要がないと感じた時 | 16.8% |
その他 | 1.2% |
わからない | 1.3% |
参考:内閣府「運転免許証の自主返納制度等に関する世論調査集計表」 集計表2
理由の上位3項目からは共通して「自分の運転に対する振り返り」を、4つめからは「運転の必要があるかどうか」をそれぞれきっかけにしていることがわかります。
運転免許証の自主返納はあくまで本人の決断ですが、場合によっては家族の協力が必要な場面もあるでしょう。独断ではなく家族にも相談して意思を伝え、協力してもらえるよう環境を整えることも大切です。
高齢者の運転免許証の自主返納を受けられる特典
高齢者が運転免許証の自主返納制度には、返納によって被るデメリットを補うための支援制度が設けられています。これらの特典が返納後、どのように利用できるかは返納の決断の大きな要素になるでしょう。
ここでは、高齢者の運転免許証の自主返納によって受けられる特典について解説します。
特典は自治体ごとにさまざま
高齢者の運転免許証の自主返納制度は、都道府県別に施行・運営されています。そのため特典内容は自治体によってさまざまです。これは都道府県によって公共交通機関の整備状況や利用率・頻度に違いがあるためで、より効果的な支援のためともいえるでしょう。
参考:高齢運転者支援サイト「各種特典のご案内」
自主返納後の身分証明書となる運転経歴証明書
自主返納後の不安の1つに「運転免許証という身分証明書がなくなってしまう」ことがあげられます。この不安を解消するのが「運転経歴証明書」です。
運転経歴証明書は2001年の道路交通法改正によって導入され、2012年からは銀行等において本人確認書類として使えるようになりました。2019年からは運転免許の失効者も一定期間内であれば申請できるようになっています。
ただし発行には申請が必要です。返納しただけで自動的に受け取れるわけではありません。自主返納と同じ窓口で同時に申請することができますが、申請には6カ月以内に撮影した無背景の証明写真と手数料1,100円が必要です。
また申請には1~2時間ほどの時間がかかります。申請するときはこの時間も含めた時間を見計らって出向くようにしましょう。
自主返納することで受けられる特典の多くで、運転経歴証明書の提示が必要になります。免許証と同じサイズのため運転免許証と同様、常に持ち歩いておくとよいでしょう。
交通機関の利用料金の優遇
各自治体の特典の中で、最も多くバラエティに富んでいるのが公共交通機関の利用料金の優遇です。一部の自治体ではバスの利用料金が半額、タクシーの利用料金が10%引、利用料金に使えるポイント付与といった措置が受けられます。
サポート企業から受けられる優遇措置
自治体によっては公共交通機関以外の企業から受けられる優遇措置もあります。
- 銀行の預金金利の優遇
- ホテルなど宿泊施設の利用料金の割引
- 宅配サービスの利用料金割引
- 飲食デリバリーでのサービスメニュー追加 など
ただこれらの優遇措置は、利用できることではなく利用によってどれくらいのメリットがあるかが重要です。受けられる特典の回数などに制限がある場合もあるため、事前に詳しく調べておく必要があるでしょう。
運転免許証の自主返納の手順
自主返納しようと決断したら、手続きの準備を始めましょう。自治体が受け付ける手続きのため、提出や確認が必要なものがそろっていなければ進めることはできません。何度も足を運ぶことのないよう、事前にしっかり確認しましょう。
手続きは最寄りの警察署で
運転免許証の自主返納は、住民票のある地域の最寄りの警察署または運転免許センターで手続きします。窓口ごとに受付時間が決められているため、事前に確認しておくとよりスムーズです。近くであれば徒歩や自転車でよいですが、距離があればタクシーや家族の送迎などを、時間に間に合うよう手配しましょう。
手続きに必要なもの
手続きに必要なものは、運転免許証と印鑑だけです。自治体によっては印鑑も不要な場合もあるため、事前に確認しておくとよいでしょう。窓口に用意されている「運転免許取消申請書」に必要事項を記入し、運転免許証と一緒に提出します。
通常手続きにかかる時間は20~30分程度ですが、日曜日や平日の朝の時間帯は比較的混雑していることが多いようです。あまり時間をかけたくないなら、午後申請に出向くとよいでしょう。
やむを得ない事情があれば家族が手続きできる
運転免許証の自主返納は原則として本人だけが手続きできますが、入院中などで本人が手続きできない場合は家族が代理で申請することもできます。ただしその際、追加で委任状が必要です。管轄の警察署Webサイトなどからダウンロードするなどして事前に用意しましょう。
また故人の運転免許証も遺族が返納できます。この場合は免許証と一緒に死亡診断書の提出が必要です。申請に出向く前に警察署に問い合わせ、間違いないよう確認しておくとよいでしょう。
自主返納するときの注意点
運転免許証の自主返納には、制度のしくみや意義、手続きの手順などをいくら正確にわかっていても、うっかり見落としてしまいがちな問題があります。場合によっては大きな問題に発展する可能性もあるため、十分な注意が必要です。
ここではそのうち2つの注意点について解説します。
手続きには自動車を運転して行かない
普段どこに行くにも自動車に乗っていくという高齢者は多いでしょう。そんな方こそ、運転免許証の”返納”に行くときは注意が必要です。あまりに当然で、手続きするために警察署まで、うっかり自動車で行ってしまってはいけません。
運転免許証は返納すれば運転する許可がない、つまり自動車を運転してはならなくなります。当たり前ですが、特に一人で出向く場合は必ずタクシーやバスなどの公共の交通機関を使うなど移動方法に制限があることを忘れないようにしましょう。
大切なのは本人が納得していること
高齢者の場合、運転免許証の自主返納を「家族に説得されてやむなく」といった心持ちで手続きすることもあるでしょう。本人は納得していなくても手続きすることはできます。しかし実際に生活が大きく変わってしまうのは返納する本人です。
本人が自ら変化を受け入れ、代替案を理解して”これなら大丈夫”と納得していなくては、本人がつらい思いをするだけです。無理に歩いて買い物に行ったせいで体調を崩すようなことがあっては元も子もありません。
とはいえ家族との話し合いは大切です。ただ「返納すれば安心」といったような簡単なことではないことも踏まえて検討する必要があるでしょう。
本人の納得とリスク回避のバランスが重要
高齢者の運転免許証の返納には、メリットと同時にデメリットもあります。確かに自動車を運転しなければ事故を起こすことはなく、被害者を生んでしまうこともありません。しかし一方で生活様式ががらりと変わり、出かける頻度や場所、場合によっては交流関係が制限されることはデメリットです。
自治体の制度には自主返納を支援するしくみがありますが、どうしてもこれまでの生活から変えざるを得なくなることも多いでしょう。大切なのはこれを強制されずに、本人が納得して受け入れることです。そうでなくてはただ本人のガマンを強いるだけになってしまいます。
そのためには家族を含めた周囲の人々のこれまで以上のサポートが必要です。自主返納は、本人だけでなく周囲で支える必要がある制度といえるでしょう。